トリリンガル(トライリンガルとも書く、英語スペル:trilingual)ってご存知ですか? トリリンガルとは、二ヶ国語を話すバイリンガルより上の「三ヶ国語」を話せる人のことを意味します。私自身も中国語と英語を話すトリリンガルなのですが、どんな勉強をすれば三ヶ国語を話せるようになると思いますか?
赤ちゃんや子供のときから特別な育児方法で育てられた? 英語と中国語で教育を受けていた? 皆さんこうお考えになるかもしれませんが、トリリンガルになるには絶対に早期教育が必要というわけではありません。そこで今回は、私がどのように三ヶ国語を学んだかを実際の例としてお伝えしたいと思います。
これから外国語を学ぼうとお考えの方や、まさに勉強中という方、お子様のためにトリリンガルへの育て方の良い方法を探している方など、ぜひ皆さん参考にしてみてください!
トリリンガルになるには?私は三ヶ国語をこう学んだ
冒頭でお話しましたように私は「中国語・英語・日本語」の三ヶ国語を話すトリリンガルですが、赤ちゃんや子供のときから特別な言語教育を受けていたわけではありません。つまり、私は気付けばトリリンガルだったというわけではなく、勉強をして三ヶ国語を話せるようになったのです。
ご参考までに、私が三ヶ国語をどのように学んでいったかを時系列でまとめてみました。
1. まず基本の母国語(私は中国語)
まずは母国語からです。母国語をきちんと学ぶことは大切ですが、特別な学習は必要ないでしょう。皆さんは日本語が母国語であれば、もちろん日本語が話せますよね。
中国語が母国語の私も特別な育児方法で育てられたわけではなく、普通に中国の学校へ通い、中国語で教育を受けていました。この感覚は自然に日本語を身に付けられた皆さんの経験に似ているはずです。母国語なので特別な言語教育を受けている感覚はなく、家庭内や学校など日常生活の中から実践で話し方を学びました。
当然ですが、中国語で育てられてきた私は英語も日本語も知りませんでした。中学校に入っていきなり英語を勉強させられたときも、我武者羅にテキストを暗記するしかなかったです。これは日本の英語教育と同じだと思います。どんなに英語を勉強しても、頭の中で考えごとをするときはいつも母国語の中国語でした。
この時点では、トリリンガルどころか英語を話すバイリンガルにさえ程遠い状態ですね。
2. 受験英語から実践英語へのシフト
私にとってのターニングポイントは「受験英語の勉強」から「日常英会話を重視した英語学習」へと結果的にシフトできたことでしょう。きっかけは15歳のとき、中国から英語圏の国であるカナダに移民したことです。
カナダには華僑のコミュニティーが多くありますが、社会に馴染むためには英語をマスターしていかなくてはなりませんでした。しかし私は、中国の学校で学んだ英語が使えないことに気が付きます。簡単な挨拶程度はできても、発音が悪かったし、英語を口にする度に緊張していたせいで、誰も私の英語を理解してくれませんでした。それで自然と「中国での英語教育には何の意味があるの?!」と思うようになりました。
英語はただ覚えれば大丈夫なんてことはありません。毎日使わなければ話せるようにならないし、言葉の裏の意味なども表現できるようにならないと、相手には分かって貰えないことも多いです。アジアの教育方法だと無理がありそうなので、私は「他に何かコツはないか」と毎日考えるようにもなりました。
一番の収穫は、受験英語が日常生活の英語に使えないと気付けたことです。留学をしても英語を話せるようにならない人はいるように、移民しただけで英語を話せるようにはなれません。絶望したときもありましたが、使えない受験英語から離れられたことで、とにかく別の英語学習法へシフトするしかなくなったのです。
3. 日本語の独学からトリリンガルへ
カナダでは、移民の私が勉強や就職で有利になるには人一倍の努力をしなければいけませんでした。カナダで生まれ育ったアジア系の方たちは、赤ちゃんの頃からバイリンガル環境に触れていて英語を話せたからです。まだ英語もうまく話せなかった私はプレッシャーとストレスから引きこもりになり、誰とも話をしないようになってしまいました。
現実逃避でアニメを見始めた私は、独学で日本語を勉強し始めます。ですが、これが私の人生を変える大きなきっかけとなってくれました。私は日本語を心の底から愛してしまったのです。日本語に触れることは恋人に触れるようで、毎日の勉強も維持できました。いつか日本で暮らすことを夢見るようになった私は、短期間で語学をマスターするための勉強法をとにかく追求していきました。
私が見つけた1番のコツは、頭の中で通訳しないこと。自分を取り巻く環境を意識してその言語で考えれば、脳の中に多言語のスイッチができ、見たものをすぐに外国語で話すことができるのです。
- 学校では英語
- 家に帰れば中国語
- 自分の部屋では日本語
私はこのようにスイッチを切り替えて訓練しました。その結果、6ヶ月後には考えたことを日本語でも話せるようになり、同じ方法で英語を勉強したら、いちいち英訳せずにスラスラ話せるようになったのです。
その後も、上の方法を応用しながら「日本語」と「英語」の勉強をそれぞれ続けました。
どんなメリットがあるか?トリリンガルになって得られたこと
皆さんには、トリリンガルの生活ってどんなイメージがありますか? ここでは、私がトリリンガルになれたおかげで得られた『3つのこと』をシェアしたいと思います。ぜひモチベーションに繋げてみてください!
1. 夢にも見ていなかった世界
いきなりですが、私はトリリンガルになれたことで『夢にも見ていなかった世界』を手に入れられました。
中国からカナダへと移民し、現実逃避から日本語を始めた私にとって、その人生の可能性を広げてくれたのはやっぱり言語です。在カナダ日本大使館主催の日本語弁論大会で三回の挑戦で全国一になったこと、福島県へ世界の架け橋として仕事ができたことなど、夢にも見ていなかった新しい世界を見ることができました。また英語をマスターしたことで、世界中を見て回ることに対するハードルも大きく下がりました。
今では「トリリンガルの頭の中はどうなっているのか教えて欲しい!」と言われることもあります。でも私は特別に賢いわけではなく、生活の需要と揺るぎない愛があった二つの言語を同時進行で学んだだけなのです。
外国語ができれば視野や可能性が広がり世界も広がる。これは私自身が継続して体験している真実です。
2. 困難を乗り越えた自分への自信
自信がつくと、人は大きく変われます。三カ国語を話せるようになるまでの経緯にもよるかもしれませんが、困難を乗り越えて三ヶ国語を習得できたことによる『自信』は、紛れもなく宝物になるでしょう。
中国語しか喋れないままでカナダに移民した私も、言葉と社会の面でたくさんの困難に遭いました。あの頃は帰国子女が羨ましくて、「私は最低だ。何も才能がない」なんてことを毎日のように思っていました。でも、「たとえ希望が見えなくても、やり続ける!」と自分に言い聞かせて一生懸命に勉強を続けました。
「海外に行ったら英語は自然に身につく」このように思っていませんか? 実は、そんなことはありません。私たちが自ら言葉を学ぶようにしなければ、何も身に付けることはできないのです。海外で生活をすることは人生で大きな挑戦です。言葉を超えた困難に遭遇したときは「私にできるの?」と疑ったりもしました。
ただ、私には日本で暮らしたいという目標があったので、大好きな日本へ行くために難題も一つ一つ解決していこうと決めました。その努力が一年半後に実り、絶望していた毎日が「自信という明るい色」へと染まっていったのです。そして、自信がついてからは次々と良い結果を出せるようになりました。
3. 自由な選択を手に入れた人生
三ヶ国語の習得だけで『自由を手に入れた人生が得られる』と言うのは大げさに聞こえるかもしれませんが、私はトリリンガルになってから人生の選択肢が広がり、自由になれたと感じています。中国、カナダ、日本、アメリカ、オーストラリアなどを経験した結果、時間や場所に縛られない人生設計もしやすくなりました。
これは、三ヶ国語のおかげで、次のような「自由に繋がるスキル」が効率よく身に付いたからだと感じます。
- 国際経験
- お金と経済知識
- ソーシャルスキル
外国語ができると海外旅行や海外出張なども身近になり、そこで貴重な経験ができたりしますよね。就活にも有利ですし、自分でビジネスを立ち上げることもしやすくなります。お金の作り方も多言語で学んで多言語でチャレンジできますし、異文化交流や言葉の通訳などをきっかけにソーシャルスキルも身に付きました。
たとえ結果論でも、バイリンガルやトリリンガルになることが「自分らしい人生を楽しく過ごせる第一歩」となってくれるケースは珍しくないと思います。少なくとも、私自身は振り返ってそのように感じています。
今回のまとめトリリンガルになる方法とメリット
今回の記事は「トリリンガルとは?中国語と英語と日本語の三ヶ国語を私はこう学んだ 」というタイトルで、私が実際に三ヶ国語をどう学んだのかをお伝えいたしました。赤ちゃんや子供の頃から特別な教育を受けなくても、トリリンガルになって自分の可能性を広げることは夢ではありません!
これから母国語以外の外国語を勉強しようとされている方、まさに勉強中という方にとって、良いニュースとなってくれれば嬉しいです。私が実践した勉強法はオンラインレッスンでもお伝えすることができますので、ご興味のあられる方は、ぜひご連絡くださいね! 今後こちらのサイトでは様々な記事も書いていきます。